被災地
2011年 03月 25日
今日は思い切って年休を取り、ガソリンスタンドの行列に並びました。
全国の皆さんに節約をお願いしていながら申し訳ない限りですが、水や食料の確保に必要なのです。
近所のスタンドで2時間半ならび20リットル給油、これでやっとディオン号が使えます。
さっそく親水公園でトイレの水を確保、いままでつらかった・・・。
ガソリンが入ったので、午後は多賀城の避難所へ行って見ました。
妻はパートで手話通訳の派遣事務を行ってますが、この避難所に張り付いている通訳者を激励したいとのこと。
行ってみるとだいぶ疲れている様子なので、自宅に送りました。
道すがらいろいろ話を聞きましたが、ブログには書けないような凄惨な内容。
今の状況を見たいというので、津波が押し寄せた場所へ車をまわしました。
産業道路。
道路わきに、まだ車が放置されています。
塩釜まで行ったら、船が道路を塞いでました。
私の家の数キロ先に、本当の被災地がありました。
水道はまだでしたか、もう直ぐだと思います。
頑張ってください。
でも、イザという時に親戚と一緒に逃げる為に温存してます。
yossyさんもご無事でなによりです。
震災後の初出勤が月曜にありますが…
会社が松島なので怖いですが、まあ、サラリーマンなので。
秋田に行ってきましたが、向こうは並ばずに満タン給油可能でした。
こちらに戻る途中のSAでは給油待ちの車が長蛇の列。
仙台に帰ると、開いてるスタンドは皆無・・。
供給のアンバランスを感じます。
28年前の日本海中部地震のとき秋田の土崎港におりましたが、やはり船が打ち上げれられ車は泥に埋まってました。
ふたたび同じ光景を見るとは・・。
ライフラインはあと1週間程度で回復の見込みとなり、ちょっと元気が出てきました。
そういえば、近所のコンビニも昨日から営業を再開したようです。
私もどうにかガソリンを入手でき、やっと妻の実家にも行く事が出来ました。しかし亘理・山元方面の海岸線付近は絶句でした。堤防もところどころ崩れており、親類は砂防林を超える津波が2方向から来たと言ってました。
三陸は少ない平地の人口密集地が流されひどい事になりましたが、亘理山元方面も人口は少なくとも平たんな場所のため被害面積は広大でした。
悲しい用事も増えそうです。
おたがい、地震に縁がありますね。
私は「太平洋はるか沖地震」の時も青森に住んでおりました。
余震で「青森市のけが人1名」とニュースに出ましたが、それは私の当時1歳の次男です(汗)
こうしたところ、いやそれ以上のところが広範囲に有ると思うと今回の震災の凄まじさが恐ろしいほどに感じられます。
幸いなことに知人で亡くなった人はおりませんでした。
震災から3週間が経ったとはいえ、不明者、瓦礫、避難所、仮設住宅、インフラ復旧、生活・・・様々な難問が大きく立ちはだかっています。
でも少しずつみんなで乗り越えていかなければいけませんね。
テレビではショッキングな映像がたくさん流れましたが、その場に立つとやはり臨場感が違いますね。
特に産業道路や新港は身近な場所なので・・。
今日も妻のアッシー君で沿岸部を回りましたが、被災者のみなさんも片付けに忙しそうでした。
前途は多難ですが、一つずつ乗り越えながら復興していくんでしょうね。