カテゴリ:おくのほそ道( 2 )

休日1

とある休日、妻の付き合いで多賀城へ。
スキーシーズンは休みに家に居ることがないので、夏場は少し点数稼ぎしておかないとね・・

妻が用事を済ませるあいだ、ちょっと気になる場所を訪ねました。
以前、自転車で来たことのある、芭蕉ゆかりの「末の松山」「沖の石」。
http://yossy1904.exblog.jp/i23/
古今和歌集には「浪が越えるはずが無い末の松山・・」とあります。
深読みすれば、この下までは波が来ると言う事でしょうか?
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宝国寺の前にある句碑には、くっきりと津波の跡が残っています。
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「末の松山」を遠望すると、たしかにすぐそばまで津波の跡があります。
あと数メートルまで津波が迫ったようです。
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近くの「沖の石」に言ってみるとこちらは無事・・
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かと思ったら、裏に回ると柵が壊れてました。
池は泥に埋まらなかったのでしょうか。

追記
ブログやツイッターを検索すると「沖の石」は震災ゴミで埋まったようです。
さすが「史都多賀城」、いち早く復旧したようですね。
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by yossy1904 | 2011-06-28 23:19 | おくのほそ道 | Comments(4)

チャリで行くおくのほそ道 岩切~塩竈ついでに多賀城など

日曜の朝、急に思い立ち旅に出ることにしました。
芭蕉の足跡を自転車で辿る・・、以前からあたためていたプランです。

深川から大垣まで全行程と行きたいところですが、私もサラリーマン、休暇との兼ね合いが。。
そこで仙台を基点に、休日を利用しみちのく限定で回ってみることにしました。
何年かかるか分からない旅です。

記念すべきスタート地点は、岩切の東光寺前。
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どうせなら「芭蕉の辻」にしたいところですが、あえて岩切にしたのは訳があります。
芭蕉は岩切で菅菰(*1)の材料となる、十符の菅を見物してます。
この菅は、この辺りの農家で作られていましたが、そこに至る畦道を曾良は備忘録に「奥の細道」と記したそうです。
これが「おくのほそ道」の名の由来とすれば旅の基点にふさわしい・・・(実は急に思い立った旅なので家の近くをスタート地点にしただけ)。

岩切を後にした芭蕉と曾良は、次に「壷の碑」を訪ねます。
今も格子のついたお堂に収められていますが、芭蕉の時代も同じだったとのこと。
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昔の人は杖の先に筆をつけ石碑に落書きしたそうですが、現代人の私は格子の隙間にレンズを突っ込み中の撮影。
碑文までは、うまく写りませんでした。
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「壷の碑」の北には、南北大路とその先の多賀城址が見えます。
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もちろん芭蕉の時代には発掘は始まっておらず、多賀城の所在をうかがわせるものは「壷の碑(多賀城碑)」だけだったのでしょう。

この後、芭蕉と曾良は塩竈で昼食をとってます。
朝、仙台を発ち、榴ヶ岡を経由、案内村(今のガス局の辺り?)で湯豆腐屋を冷やかし、岩切で菅菰を見学、壷の碑で感涙し、そして昼には塩竈です。
そして食後はまた多賀城に戻り、「沖の石」「末の松山」「野田の玉川」など古の歌枕を訪ねてます。
おそるべき健脚!

私もこの名所を訪ねてみましたが、ちょっと期待はずれか・・。
沖の石。
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昔ならいくらか見ごたえもあったかも知れませんが、住宅に囲まれた今は・・ノーコメント。
末の松山・・写真割愛・・、野田の玉川・・コンクリートに囲まれた水路でした。
それでは実もふたもないので。。

我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らめ 乾く間もなし 二条院讃岐
白波の 越すかとのみぞ 聞こえける 末の松山 松風の声   能因
光りそふ 野田の玉川 月きよみ 夕汐千鳥 夜半に鳴くなり   後鳥羽院

こうして見れば、昔はこの少し先が海岸線だったようです。

さすがの芭蕉も、この日は塩竈神社202段の石段は登らず翌朝参拝。
(しかし夜は浄瑠璃見物したという。どこまで元気なんだ?)
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ここからちょっと、2年前の写真など・・。
たまたま巫女さんが舞を奉納(?)しているところを見ました。
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見物人はワタシ一人。鼻の下をのばしていては、罰があたりますな。
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お勤め終えて・・
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次回は塩竈から船で松島へ行ってみたいと思います。
いつになるかは???ですが。

岩切~塩竈 8.5km (地図はここをクリック)
塩竈~沖の石・末の松山 往復8km (地図はここをクリック)

*1 私の住む利府町は昔、十符の里と言ったそうです。
   十符の里はおそらく十符の菅に由来するものと思います。

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by yossy1904 | 2009-09-15 01:00 | おくのほそ道 | Comments(7)